「美しのガラス・・・」展、小西潮「フィリグラーナの壺」 |
透明のガラスに乳白色のガラスを合わせ、レースのような透し模様を作るフィリグラーナ(filigrana)という手法は、16世紀に、ヴェネツィアのムラーノ島で開発され、今でも「ヴェネツィアン・ガラス」の代名詞の1つといえる。
16世紀当時はまだまだ、イタリア国内、いや、ヨーロッパでも斬新であったはずのフィリグラーナの壺が少なくとも1つ、海を越えて日本へ渡っていた。
1992-93年、東京都八王子市城址の発掘調査において、細かいフィリグラーナのかけらが発見された。これは調査の結果、16世紀末にヴェネツィアのムラーノ島で作られたものであろうと断定されている。
ところが八王子城自体は1590年、当時の城主、北条氏照が豊臣側の攻略にあい落城。このガラスはつまり、おそらくイタリアから日本へ渡ってすぐに、城もろとも、ほかの多くのお宝とともに焼け落ちたことになる。興味深いのは、その破片がかなり細かく、また、そのうちのいくつかは熱による歪みを擁していることなどから、壺は落城時の炎に包まれる前に、すでに粉々になっていたのではないか、と推察されること。城主氏照が、自らの貴重なコレクションであったフィリグラーナの壺を、みすみす敵の手に渡すまいとして壊したのではないか、と。
天下統一目前の戦国時代。南蛮人の到来により、舶来ものが日本に届いた時代であり、同時に、武士や裕福な町人らの間で茶の湯が流行し、もの珍しい道具類が珍重されるようになった時代でもあった。
ヴェネツィアのガラスは、日本の国内でいくつか現存するが、フィリグラーナのものは今のところ、唯一無二の例。このフィリグラーナの壺を、誰が日本に持ち込み、なぜ氏照の手にあったのかはわかっていない。純白で清楚で、それでいて華やかできらびやかなレースのようなガラスが、当時の日本人をどれだけ驚かせたかは想像に難くない。そして、貴重で大切な壺を自らの命と共に断つ、そんな哲学が彼らの時代には確かにあった。
フィリグラーナの名手、小西潮さんは、八王子市教育委員会より依頼を受けて、当時の壺の再現品を制作した。
いまどきのヴェネツィアならば、決して珍しくは見えないかもしれない、フィリグラーナのガラスの壺、だがこれこそ、ヴェネツィアと日本との歴史的な関係を繋ぐ証として、ぜひともこのヴェネツィアで展示されなければならなかった。
4世紀の時を経て、現代の作家の手を通じて「里帰り」を果たしたフィリグラーナの壺は、控えめに、だが誇らしげにそこに存在している。
八王子城址出土レースガラス器、参考サイト
(上記、資料写真も同サイトから拝借)
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kyoiku/rekishibunkazai/kyodoshiryokan/20593/020580.html
(個別の作品紹介、もう少し続けます)
美しのガラス 江波冨士子・小西潮作品 伝統と創造
ヴェネツィア、国立東洋美術館
(カ・ペーザロ内)
11月29日まで
Delizie di vetro. Le opere di Enami e Konishi tradizione e creatività
Museo d’Arte Orientale di Venezia
Ca’ Pesaro S. Croce 2076
19 set - 29 nov 2015
11 ottobre 2015
イタリアから帰ってきました。『麗しのガラス』展見て来ました。友人Fa.やMa.やMu.に、また宿の主人に話したら全員見て、デリケートでinteressantiな作品だったと言ってました。
私自身は、サントリー美術館で見た、数年前にあった『ヴェネツィアンガラス』展で展示された八王子城跡から発掘されたガラス片が、今年市報で郷土資料館で、その出土品と共に潮工房作の復元壺を展示するとあって、見に行き、館員から今回のヴェネツィア展示があるらしいと教わりました。
お茶をする私には大変興味深かったです。
本来であれば八王子城址のガラス片もお借りして一緒に展示できればよかったのですが、諸々事情により今回は断念いたしました。またいつか、そんな機会が設けられるといいなと思います。
お茶道具も気に入っていただき、なによりです。