「ヴェネツィアの光、スキアヴォーネ」展、本日最終・・・ |
アンドレア・メルドッラ、現クロアチアのザダル(イタリア語ではZara)出身のため、ヴェネツィア語でその地方出身者を表すスキアヴォーネという通称で呼ばれた16世紀の画家。
1527年に、ローマ出身の建築家ヤコポ・サンソヴィーノがマルチャーナ図書館を建てたとき、2階大広間の天井画は当時ヴェネツィアを代表する7名の画家に描かせたが、ヴェロネーゼなどと並びこのスキアヴォーネも選ばれており、ヴェネツィアの画家というイメージだが、初期の段階ではローマやボローニャにも滞在したとされ、とくに、パルミジャニーノの影響を強く受けている、とされる。
だが、どうだろう?
首や胴体、手足を明らかに長くして、エレガントさが強調されているのが特徴のパルミジャニーノの作品は、細かい線で構成されており、のちの印象派のようにタッチの荒い筆使いで色を乗せたスキアヴォーネとずいぶん遠いように思われる。自身も画家であったフィレンツェ出身のヴァザーリが当代のイタリアの芸術家を網羅し解説した「芸術家列伝」で「未完成」と揶揄したこのスタイルこそがヴェネツィアの画家らの特徴であり、彼らは線でなく、光と色で絵を描くと言われていた。
だがそれは、当時非難されたように、ヴェネツィアの画家らに、フィレンツェ、ローマの画家たちのようなデッサン力がなかったというわけではない。銅版画家としても知られるスキアヴォーネの素描は、その事実をはっきりと示している。
そして、パルミジャニーノほか、エミリア地方の画家の影響と思われるのは、淡いレモンイエローではないか、とふと思った。ヴェネツィアの絵画では、聖なる色でもある赤、青はもちろん、ピンクや水色、緑は好んで使われているが、このレモンイエローは案外少ない気がする。
興味深いのはむしろ、ヴェネツィア派の画家らとの比較だろう。
ティントレットやパリス・ボルドンなど、構図やポーズが酷似した作品が並べられているのはもちろん、とくにティツィアーノとの比較は明確。ティツィアーノが1550年代にスペインのフェリペ2世の依頼で描いた「ディアナとアクタイオン」、オヴィディウスの「変容」に題材を得たシリーズの1つで、残念ながら「本家本元」であるエジンバラのスコットランド・ナショナル・ギャラリー所蔵の作品は展示されていないのだが、ティツィアーノ自身のヴァリエーションとされる個人蔵作品と、ウィーン国立歴史美術館のスキアヴォーネ作品が並列されている。
あとで帰宅して、あらためて「本家」の画像と比べてみて、やはり人物の配置やポーズ、アーチ型の建築物の向こうに青空が見えているのも、全くそのままであることを確認。ただしこのスキアヴォーネは、人物を全体に小さく、背景部分をより大きくすることにより、アクタイオンが狩りの途中で謝って女神ディアナの水浴場面を見てしまうという場面の、ドラマチック性を抑え、より詩的な、「きれいな」絵に仕上げていることに気づく。
(これはやはり展覧会会場に、小さなモノクロ写真でもいいので、比較できる画像と解説をつけてほしかったが・・・)
そして終盤は大型の宗教画になるのだが、ヴェネツィアではマニエリスムの究極といえるティントレットから入り、やがてむしろ「クラシック」なヴェロネーゼ、そしてティツィアーノの作風や構図に落ち着いてくるのが面白い。そしてその3巨匠の誰よりも、柔らか。派手さが控えめで、無難といえば無難、だが落ち着きがいい。
ヴェネツィア内で行われている展覧会は、いつでもいけると思うとついつい後回しになってしまい、気がつくと終わってしまうことがあって要注意。
今回もまたラスト・ミニッツで駆け込み、同展は今日10日が最終日。
(画像はすべて、公式サイトより拝借)
ヴェネツィアのルネサンスの光
アンドレア・スキアヴォーネ、パルミジャニーノ、ティントレット、ティツィアーノの間で
ヴェネツィア、コッレール美術館
2016年4月10日まで
Splendori del rinascimento a Venezia.
Andrea Schiavone tra Parmigianino, Tintoretto e Tiziano
28 nov 2015 - 10 apr 2016
Venezia, Museo Correr
http://correr.visitmuve.it/it/mostre/mostre-in-corso/mostra-schiavone/2015/09/12029/andrea-schiavone-tiziano-tintoretto-correr/
10 apr 2016
スキアヴォーネの名前が付いた地区がヴェネツィアにありましたよね。
この画家の名前が・・・じゃないようですね。
スキアヴォーニ河岸(Riva degli Schiavoni)でした(汗)。
さすが、ズバリ!です。スキアヴォーネの複数形がスキアヴォー二で、ヴェネツィアのサンマルコあたりからビエンナーレ方向へかけてのスキアヴォーニ河岸は、彼ら、つまり現クロアチア・スロヴェニアあたりの人々が多く集まっていたことからその名がついたものです。