アルド・マヌツィオ ヴェネツィアのルネサンス |
歴史に学ぶことはやはりある、と思う。
ドイツのグーテンベルクで発明された活版印刷がヨーロッパに普及し始めた15世紀末。その可能性と将来性にいち早く目を向け、多くの出版社が興ったヴェネツィアの中でも、絶対にその名を外すことのできないのがアルド・マヌツィオ(Aldo Manuzio)。ヴェネツィアで刻んだその偉業が偉大すぎて、すっかりヴェネツィアの人かと思い込んでいたが、出身は現ラツィオ州の小さな町、ローマで学業を収めたあと、ヴェネツィアへと移ってきたという。
当時のローマは、法王庁そのもの。カトリックの総本山として、絶対的な権力を誇る一方、宗教に完全に支配された町は、自由な発想を持つアルド青年には相当窮屈だったのに違いない。
彼の求めた新天地ヴェネツィア共和国は、もちろんカトリック教国でありながら、あくまでも商売と実務優先。ローマの永遠の敵であったオスマントルコとも、ときには敵対国として戦争もしつつ、平和時には交流、交易を積極的に行っていた。
そのヴェネツィアでアルド青年はまず、自身、傾倒していたギリシャ文学の書物を発行するところから始めた。
活版印刷の発明自体、それは文明大改革といっていいくらいの出来事だった。それまでは人の手による写しとっていくしかなかった「本」が、一度に何冊も「印刷」し複製できるようになったこと。情報の大量かつ急速な普及が可能になったこと、それはまさに、現代のインターネット革命に匹敵する。
そして古代の建築や彫刻だけでなく、文芸もまた「再生」、ルネサンスの重要な要素の1つであったことはいうまでもない。
アルド青年はその中で、次々と新しいアイディアでヴェネツィア出版界を盛り上げる。
すっきりと読みやすい「活字体」の利用。
印刷ながらも、計算されつくしたレイアウト。
つまりそれらは、パッケージ・デザイン力による商品プロモーション。
いわゆる、「文庫本」の開発。
それまでは書物といえば、その中に詰まった知識を象徴するかのように大きく重いもので、書見台においてうやうやしく扱ったものだったのを、ハンディサイズにすることで、いつでもどこでも、書物を手にすることができるようにしたこと。これは今でいえば、ラップトップのパソコンからタブレット、だろうか。いや、デスクトップからラップトップくらいの飛躍かもしれない。今でも「アルド・マヌツィオの偉業」としてもっとも重要視されるのはこの点。
その「文庫本」がいかに絶大な人気を誇っていたか、当時の肖像画の中の人物たちがしばしば、さりげなく、美しい皮のカバーのかかった小型の本を手にしていることで察することができる。
その文庫本の作成にも、羊皮紙に手描きの写本を参考に、つまりいいとこどり。
「斜体活字」の開発。
筆記体に近い文字で読者に親近感をもたせるとともに、同じ1ページにより多くの文字を配置する、つまりより多くの情報を詰め込むことができるという経済的な理由も。同じ本をよりコンパクトに、より安く、というのだから、読者にとってもこんなにありがたい話はない。
手描き挿絵入り豪華本の開発。
「斜体」の一方、ハンディでコンパクトというスマートさは保ちながら、活字本ながらも手描きの部分を加え、書物はもともと豪華で貴重なものという人々のニーズにも応えたというわけで、そのマーケティング能力というのか、顧客のニーズに対する真摯な対応というのか、にひたすら感心する。
幅広いジャンルに適応。
ギリシャ語で書かれたギリシャ古典に始まり、自然科学や思想書など、当時ローマやその支配下では禁書扱いの書物も、ヴェネツィアでは自由に、いやむしろ積極的に発行できた。もっともこれは、アルド独自の発想、といわけではなく、ヴェネツィア出版界全体に共通していたメリットだったが。
そうしてヴェネツィアでは出版業が、国の重要な産業の1つとして長く根付いたのだった。
そう、この展覧会では、アルド・マヌツィオという人の、現代にも通じるビジネスの才覚にあらためて、ひたすら感心することになる。だが、ほんとうの実用とは、美にもまた適ったものなのかもしれない。
いや、それこそがルネサンスの精神だったということだろうか。
あまりがたがたと御託を並べずに、何よりもただそこにある作品たちを見るだけで、実は十二分に楽しめる。展示されている書物や作品は、1つ1つ、ただそれ自身がほんとうに美しいから。
(画像はすべて、公式サイトより拝借)
ヴェネツィア、アッカデミア美術館
6月19日まで
Aldo Manuzio. il rinascimento di Venezia
Venezia, Gallerie dell’Accademia
19 mar - 19 giugno 2016
http://www.mostraaldomanuzio.it/credits
7 giu 2016
こちらはもう来週いっぱいで終わってしまいますが・・・もしよろしければ、ぜひ。