第73回 ヴェネツィア映画祭・14〜イタリアからユーゴへ |
コンペ作品、イタリアの3本目はジュゼッペ・ピッチョー二監督”Questi giorni”(最近、ここのとこ、の意)、女4人のロード・ムーヴィー。
幼馴染か、あるいは中学や高校の同級生だろうか、それぞれ自分の道を歩み始めつつある女の子たち、そのうちの1人カテリーナが、ホテル学校を卒業しベオグラードで職をみつける。常に何か新しいものを求め、過去を振り返らないカテリーナは、1人さっさとベオグラードに向かうつもりだったが、ほかの3人はヴァカンスがてら、送っていく、という。
20代前半の女子4人、悩みや問題のない人は誰もいない。嫉妬、不安、不信、怒り、呆れ・・・仲がいいといったって、いや、仲がいいからこそ、お互いいろいろな感情がある。
イタリアの現代の若者を描く・・・といっても、先日のジョンソン監督のドタバタ・コメディ、”Piuma”(羽、の意味)は、それぞれが自分の感情をストレートに現して、それがお互いガチにぶつかり合っていたけれど、こちらはもうちょっと「大人」というか都会的、現代的、その分、わだかまりが心の中に残る。前者の方が見ていてスッキリするけれど、後者の方が同じ女性としてよりリアル。20歳前後の、女性同士の「友情」という点では、日本の「愚行録」にも近いけれど、あちらはほんとうに表面的な「友情」がクローズアップされたのに対して(そしてそれが非常に残酷なのに対して)、ここにはまだ、それでもほんとうの友情が残っている。
女子4人も、それぞれ個性がうまく引き出されていてよかったが、そのうちの1人の母を演じるマルゲリータ・ブイが全体をぎゅっと引き締めている。インテリからシリアス、そして今回のような美容師でちょっと能天気な母をやってもどれもはまり役に見えるのはさすが。
イタリアのメディアの評価は総じて、”Piuma”と並んでか、それ以上に低かったが、私は好きだった。
ついでに言うと、イタリアの3本はいずれも、全く暴力が現れず、血を見ないのだが、それはコンペティション部門20本の中でも稀。さらにいずれも「命」を扱っていること、何か少し希望の光が見える気がする。
Questi giorni
監督 Giuseppe Piccioni - イタリア、123’
Margherita Buy, Marta Gastini, Laura Adriani, Maria Roveran, Caterina Le Caselle, Filippo Timi
コンペ最後の作品はセルビアから。
分裂、独立の内戦下のユーゴスラビア。敵に囲まれ、ときどき銃声を聞き、弾が飛んでくるのを目にしながらも、村では案外、ふつうに日常生活が送られている。牛の乳をしぼり、食事を作り、食べ、夜は音楽とお酒と、ダンスを楽しんで。
ほんとうの悲劇が起きたのは、大国による監視のもと、停戦締結が発表された後だった。
重いテーマなのだが、動物たちの介入でしばしば場が和む。そして、音楽がいい。さらに話題はなんといっても、監督かつ主演のEmir Kusturica と恋に落ちるイタリア女性を演じるモニカ・ベッルッチ。そのモニカは同作品について「すべてを失った、もう若くない2人の恋愛物語」。さらに「愛、すなわち、セクシュアリティとセンシビリティは、年齢ではなく、エネルギーからくるもの」とも。
ただひたすら運命に翻弄される女性を演じているようだが、この作品の中で、ストーリーを、それぞれの人生を決めているのは実は、彼女と、Kusturica演じるコスタの婚約者ミレーナ。
アンタッチャブルなスーパー・ヒロインは1人もいない。だが、今回のコンペ作品20本のそのほとんどで、その決め手は女性だった。運命に翻弄され、暴力を受け、不条理に逢い、傷つき、涙を流し、苦悩しながら、ときに足を引きずって、歯をくいしばって前へ進む。愛するものを両手で抱いて守りながら。
Na mlijecnom putu (On the Milky Road)
監督 Emir Kusturica - セルビア、英、米、125’
出演 Monica Bellucci, Emir Kusturica, Sloboda Micalovic, Predrag Manojlovic
73. Mostra Internazionale d'Arte Cinematografica
31 ago - 10 set 201http://www.labiennale.org/it/cinema/73-mostra
9 set 2016