「アクア・グランダ」、ヴェネツィアが海に沈んだ日 |
今日、11月4日のヴェネツィア。晴天に恵まれ、さすがに日陰は少し寒さを感じたものの、昨日のような風もなく、おだやかで暖かい絶好の散歩日和となった。
1966年11月4日、ちょうど50年前のこの日、ヴェネツィアは史上最大、最悪の「アックア・アルタ(Acqua alta)」に見舞われた。
11月から12月にかけて、ヴェネツィアではアックア・アルタと呼ばれる独特の高潮現象が起きることが増える。これは長雨や豪雨に加え、大潮、低気圧、そしてシロッコ(アフリカからの南風)と条件が重なることでラグーナの水位が増し、ヴェネツィアの島々が冠水すること。
水がつくので、洪水と訳されることもあるが、河川の氾濫とも、津波とも全く異なるもので、ある程度は事前に予想がつき、対策が立てられることから、私はどちらかというと、豪雪地帯の大雪と似たようなもの、と思っている。
そう、ある程度の水の上下ならば慣れっこなはずのヴェネツィア人を震撼させることになった50年前。まず前日の11月3日夜22時、悪条件が重なり満潮時にかなり高い水位を記録。その時点で電話、電気、そして多くの家屋でガスも不通となり、ヴェネツィア本島を始めとするラグーナ内の島々がほぼ暗闇に閉ざされ、かつ、外の世界と音信不通に。
そう聞くと、それだけでも怖いけれど、それでもヴェネツィアのアックア・アルタは、潮の満ち引きによる高低差が大きいので、満潮を過ぎればやがて、干潮時へ向けて水は自然と下がっていくことを皆知っている。
ところが翌4日、本来であれば朝6時くらいには干潮とともに水位が下がっているはずが、下がらず。ここで緊急事態発生!となったらしい。雨は降り続け、シロッコもやまず、次の満潮へ向けて、水位はそのままどんどん上昇。
そしてその頃、音信不通であったためにヴェネツィア本島ではほとんどの人が知る由もなかったが、ヴェネツィアのラグーナを外海から守るリド島、ペッレストリーナ島の堤防が決壊。悪天候で荒れる海の波が同島や手前のサンテラズモ島、ブラーノ島らを直撃した。ところにより4mもの波になったというから、それはもう津波レベル。ヴェネツィア本島は不幸中の幸いか風向きの関係で直接大波をかぶることはなかったが、水位194cmを記録。サン・マルコ広場の「標高」が80cmだから、広場は115cmほどの水に沈んだ。
当時のことを知る人に聞くと「もう二度と水が引かないのかも、と思ってとても怖かった」と言われる。水はときどきつくけれど、引くのを知っている、だからこそ引かないのはすごく怖い。高潮は困るし怖いけど、数時間待てばいい。身にしみついたその経験と知識が覆されたそのとき、どんなに恐ろしかっただろうと思う。ましてインフラが全てダウンし、文字通り孤立無援の孤島となっていたのだから。
「よく覚えてるよ、だって学校が休みになって嬉しかったから」。うん、たぶんそれも、本音だろう。
50周年を記念してヴェネツィアでは、”Acqua Granda 1966-2016”と題して、写真展やシンポジウムなどのイベントが数多く企画されている。
http://events.veneziaunica.it/it/content/aqua-granda-1966-2016
画像一番上は、2015年1月28日、宇宙飛行士サマンサ・クリストフォレッティさんが当時、国際宇宙ステーションから「チャオ、ヴェネツィア!」と言ってツィッターに投稿して話題になったもの。中央にある魚の形をしたピンク色がヴェネツィア本島、右隣の細長〜いのがリド島、その下がベッレストリーナ島。これらに囲まれた左側がヴェネツィアのラグーナ、右側が外海(アドリア海)。
ほか2枚は、reppublica.it から拝借した。
天災は防げない。だからこそ、もう二度とないことを祈って。
4 nov 2016