マルコの世界 小田部羊一と「母をたずねて三千里」展、イタリア文化会館 |
少年マルコが、アルゼンチンに出稼ぎに出た母を求めて過酷な旅を続ける「母をたずねて三千里」は、1976年にフジテレビ系列で「カルピス子ども名作劇場」全52回として放映された。
監督は高畑勲さん。レイアウトが宮崎駿さん。そして、主人公マルコをはじめとするすべての登場人物を生み出し、絵を動かした、キャラクターデザイン兼・作画監督が小田部羊一さんで、これは、その2年前に同枠で放送された「アルプスのハイジ」と同じ。
今思えば、現代の日本のアニメ界の巨匠たちが結集したのだから、結果が出ないはずはない。だが、当時はまだ若かった彼らは、ともかく高畑さんという厳しい監督のもとで、彼を信じて、ただひたすら、がむしゃらに仕事をしていた。
そして、まだ明るい、楽しい場面もある「ハイジ」と異なり、ともかく延々とつらい、悲しいシーンの連続の「マルコ」は、小田部さんも描いていても苦しく、描きながらもともかく早く終わってほしいと願っていたそう。そして忘れたいと思う気持ちが強すぎて、毎日描いていたはずの丸ルコを、終わったとたんに描けなくなったりしたという。
その小田部さんの仕事を中心に、イタリア文化会館で現在、「母をたずねて三千里」展が行われ、40年前のこの作品の魅力とその秘密が公開されている。「母をたずねて・・・」といえば、なんといっても、延々と続く砂漠だとか、吹雪の中を進むマルコの姿が印象的。はて?なぜイタリア文化会館で???と疑問に思われる方もあるかもしれないが、原作はイタリアの作家デ・アミーチスの「クオーレ(Cuore)」の一部で、マルコの一家はジェノバに住んでおり、母は、そしてマルコ自身もジェノヴァの港から南米へと旅立った。
日伊修好150周年記念行事の1つ。昨日10日には、展覧会に合わせ、小田部さんのトークショーが行われた。
幼い頃から、漫画や、当時は漫画映画と呼ばれたアニメも大好きだった小田部さんは、芸大も洋画科でなく日本画科なら、水彩で受験できると知り挑戦。「運良く」受かったが入ってみると実際には日本画をすでに並んでいる人ばかり。そんなクラスメイトらにも助けられながら、前田青邨について学ぶうちに、これでやっていきたいと思うまでに。
ところが、卒業するとなるとやはり就職先がない。そのころ、東映で募集があると知り、これまた「運良く」入社できた。ここでもまたアニメの基礎を一から学ぶ。自分が憧れていた、もりやすじ氏らについてアニメーション映画の実世界を知ることとなった。
「母をたずねて三千里」、マルコを含めキャラクターはすべて想像のたまもの。「ハイジ」のときはスタッフで事前にスイスへロケハンに行って、それが実際にとても役に立った。実は「マルコ」でもアルゼンチンとジェノヴァと、ロケハンがあったのだが、小田部さんは1年間の「ハイジ」の激務のためか、ちょうどぎっくり腰を患ってしまい、長時間の飛行機旅行は断念したのだとか。もし同行していれば、すべてきっと全く違うものになっていただろう、とも。
タイトルロールに「キャラクターデザイン 作画監督」と表記されているのは「ハイジ」からで、高畑監督のアイディア。アニメはもともと、漫画原作を使うことの多いが、「ハイジ」や「マルコ」は文学作品からの映像化でオリジナルのキャラクターが存在しない。小田部さんが一から考えて生み出したもので、そこをきちんと評価してくれた高畑さんには感謝しているそう。
講演前には、第1話「いかないでおかあさん」の上映があった。
自分も40年ぶりに見たという小田部さん、開口一番に「いや〜・・・これは、テレビ・シリーズではやっちゃいかんですよね」。
あのチームだったからできた、「奇跡の瞬間だった」。
小田部さんのキャラクター・デザインや宮崎駿さんのレイアウトなどの貴重な原画の展示は22日まで。17日には高畑勲監督のトーク、18日にはジャズ・コンサートが予定されている。いずれも入場無料だが、イベントは要・事前申し込み制なので要注意。
マルコの世界 小田部羊一と「母をたずねて三千里」展
イタリア文化会館
2016年12月2日〜22日
Il mondo di Marco. Kotabe Yoichi e “Dagli Appennini alle Ande”
Istituto Italiano di Cultura di Tokyo - Sala Esposizioni
Ven 2 - gio 22 dicembre 2016
http://www.iictokyo.com/eventi/log/eid395.html
11 dic 2016