アマトリチャーナDAY2017 |
11月最後の日曜日、抜けるような青空の東京都内、閑静な住宅街の中のコミュニティ・カフェに千人もの人が集まった。
イタリアの旗、いろんなイタリアの「おいしい」におい、使い捨てのお皿やグラスを手に集う人々、走り回る子供達。
昨年8月、イタリア中部で大きな地震があり、300人近くが犠牲となった。
震源地に近く、また、最も大きな被害の出た町アマトリーチェが、イタリアを代表するパスタの1つ、アマトリチャーナの発祥の地だったこともあって、アマトリチャーナを食べて被災地を支援しようという活動がまずはイタリアで、そしてそれがすぐに世界へと広まった。イタリア大好き、イタリア料理大好きの日本もいち早く賛同者が集まり、世界の中でもイタリアに次いで多い数になったらしい。もともとは各レストランでの個別の活動だったのが、ええい、いっそ一同に集まってみんなでやろうや!となったのが昨年11月のこと。
第2回となった今年、400人を超える参加者のあった前回は食べ物があっという間になくなってしまった!という嬉しい悲鳴にこたえ、昨年の倍以上のアマトリチャーナに加え、スープや煮物、野菜料理などお料理のバリエーションも増やして臨んだところ、13:30の時点で既に800人を超えるという、さらに嬉しい悲鳴となった。
昨年の大成功を受け、食材はすべてスポンサーによる提供。そして、何よりもすごいのは、何日も前から不眠不休で仕込み、準備し、当日もフル回転でお料理をふるまうのは、日本全国からかけつけたイタリア料理店のシェフたち総勢なんと40名!!!こんなイベントって、日本でもイタリアでも、めったにないのではないだろうか。
会場では、実行委員長でフィレンツェ在住ジャーナリストの池田匡克さんと、共同通信・前ローマ支局長、植田粧子さんによる写真展も。前者による震災前の、後者による震災後のアマトリーチェの写真は、確かに同じ場所で、ただし全く姿を変えてしまった様子に改めて驚く。いや単に姿形の問題ではなくて、同じように澄み渡る青空のもと、ただがれきの山となった町から、一切の「生」が失われていることに衝撃を受ける。
この夏まで、被災地に通い続けた植田さんによると、「チェントロ・ストリコ(centro storico)」と呼ばれる町の歴史的中心区は完全に崩壊。人口の少ない町で被害が多かったのは、ちょうど夏休み期間で、ふだんはローマなど都会に暮らす人々が多く帰郷していた影響もあったらしい。そしてこのがれきの山は、1年たってようやく撤去率が1%ほど。復興への道は、まだまだ遠い。
だが、復興の旗印に、また「アマトリーチェ」の味を求めてくる人のために、老舗んのレストランやホテルなどが仮設店舗で営業を始めているらしい。ぜひみなさん、イタリアへ行ってください、そしてローマやフィレンツェもいいけれど、ぜひアマトリーチェに足を運んでみてください、と植田さんが訴えた。それが一番の、彼らの励みになるから、と。
この日の売り上げは全て、在日イタリア大使館を通じて、被災地へ届けられる。
イタリア国内でさえ、アマトリーチェをはじめとする被災地への支援活動も、この9月にイタリアへ行ったときには、もはや聞くことさえなくなっていた。日本で、被災直後よりさらに規模を増したイベントが行われているのはとても嬉しい。関係者のみなさん、さまざまな形で活動を支援、参加したみなさん、おつかれさまでした。そして来年もまた、よろしく!
27 nov 2017