パヴィアの僧院 |
まるで宮殿のような豪奢な聖堂は、頭を垂れた黄金色の稲穂に一面囲まれていた。
チェルトーザ・ディ・パヴィーア(Certosa di Pavia)、パヴィアのカルトジオ修道会は、ミラノからローカル電車でパヴィアに向かうとその1つ手前、同名の駅で降りると、まず駅の前にイタリア人なら誰もが「チェルトーザ」というまず真っ先に思い浮かべるであろうチーズの工場があって、あとはもう、何もない。田んぼの向こうに聖堂が見えているのでそれを目指して歩くだけ、ぐるっと敷地を回っているものの、一本道でほぼ間違いようがない。
まさにお城のような、立派な門にたどりつくと、あの「宮殿」が大きな中庭をはさんだ向こうの正面に見える。そこからは「撮影禁止」とあるから、写真は、ここまで。
そのほんとに何もない田舎に、突如現れた巨大かつ豪華な建物に頭がくらくらする。不勉強のまま飛び込んで知識ゼロのままとりあえずその広大な本堂をうろうろしていると、本陣側への鉄柵の扉が開いて、どうやら中を見学できるようだったので慌てて飛び込んだ。
あとで確認したところ、内部の見学ツアーはだいたい見学者の人数が揃ったかなーという頃合いを見て、不定期に行われるらしい。中の修道士さんによる案内でイタリア語だったが、外国人の団体さんがいる場合など、外国語も対応しているのかどうかは聞きそびれてしまった。
創設は、14世紀に当時のミラノ領主であったジャンガレアッツォ・ヴィスコンティによる。完成には50年ほどかかった。
が、最初に案内される、そしてとても印象的なのが、ルドヴィーコ・スフォルツァとその妻、ベアトリーチェ・デステの墓碑。実際には2人の亡骸はここにはなく、これはベアトリーチェが若くして亡くなったときに、ルドヴィーコが作らせたものらしい。
イル・モーロ(ムーア人)の通称を持つルドヴィーコは、ジャンガレアッツォの死後、ミラノ公のポストを手に入れた。ミラノの支配者がヴィスコンティ家からスフォルツァ家にとってかわったその歴史がそのまま、ここにも反映している。
聖堂の中を一通り拝見したあとは、回廊へ。回廊は修道院には欠かせない場所だが、レンガ造りの「ちいさなおうち」みたいなのが立ち並んでおり、それがもともとの僧坊らしい。そのうちの1つを案内していただけるのだが、入り口こそ狭くちいさなものの、暖炉のあるテーブル、寝室、つくりつけの書棚、そしてあっと驚くべきことに、回廊に面した側の外側にプライベートのお庭つき。独房というよりは立派なミニアパートメントで、なるほどさすがに、修道士といっても由緒正しい家系出身のお金持ち僧が入っていたのであろうと想像する。
もともと湿気の多い、冬は相当冷えの厳しい土地で、暖房の問題で現在は使用していないらしいが、夏は案外快適かもしれないと思ったり・・・(いや、夏は夏で暑くて蚊がたくさん発生するかも・・・)
修道士さんによる案内はここまで。そのあと、付属美術館とショップは、自由に見学、利用できる。
パヴィアのカルトジオ修道会
Certosa di Pavia
14 dic 2017