偉大なる指揮者の愛すべき日常、「身近で見たマエストロ トスカニーニ」 |
読み始めてすぐに、なにかに似ている、と思った。なつかしいというか、見覚えがあるというか。
頑固でわがまま、偏屈で気まぐれで短気、自分が唯一絶対に君臨する男・・・あっ、「ある家族の会話」だ、と思った。
短い、簡単な文章の連続。
たたみかけるように、テンポよく。
美しい文章というのではない、だが、それが臨場感と日常感を生む。
そして何より、描かれている人が魅力的だ。
須賀敦子さん翻訳の、ナタリア・ギンズブルグ「ある家族の会話」、現代イタリア文学において欠かすことのできない小説を、実はつい最近始めて読んだのだけど、そこに登場するときには理不尽に見える「父」と、ここで描かれているマエストロとが、とてもよく似ている、と思ったのだった。有無を言わさず家族を従属させる父親像は、つい前世紀までは当たり前だったこともあるだろう。そして、その暴君ぶりにあきれ果てつつ、ふと微笑ましく、最後には愛すべき人に見えてくるのも。
「私」がやがて成長して家を出て、新たな自分の家族を持つ「ある家族の会話」と、あくまでもマエストロの後半生を語るこの本とは最終的に大きく異なっているのだけれども。
類稀な才能に恵まれ、全身全霊を音楽に捧げたアルトゥーロ・トスカニーニ。イタリアのパルマ生まれ、世界に名を轟かせた名指揮者は、大戦の間は反ファシズムの主張を崩さずイタリアを逃れアメリカで生活したことなども知られているが、ここで語られるのは、名声たっぷりの演奏会の合間や裏の、彼の姿。はじめはジャーナリストとして、のちにビジネス上のパートナーとして、マエストロの絶大な信頼を得て文字通り彼の後半生をずっと支え、苦楽をともにしてきた著者ならではのまさに「身近に見た」巨匠の姿。
筆者の目からするといかにもイタリア人らしい大家族の中のマエストロ、彼の個性に負けずとも劣らず、一人一人が皆一斉にしゃべっている。そんな家族や親戚、友人や取り巻きに囲まれていても、不機嫌もかんしゃくも当たり前。いや、楽団を指揮していても同じ。みんなビクビク、ヒヤヒヤ、だが、憎めない。そして彼の音楽を前に、もう何も言えない。
その激しく燃え尽きた人生に、最大の敬意と賛辞をあらためて贈りたい。
クラシック音楽好きであればもちろん、いろいろマニアックに読めるだろう。だが、クラシックはあんまり・・・とくに詳しくない、しらないという人でも、ある「人」の物語としてこれは楽しめると思う。
身近で見たマエストロ トスカニーニ
サミュエル・チョツィノフ
石坂廬 訳
22 feb 2018