廃墟から再生へ・・・? 南ラグーナのポヴェリア島 |

大小の島々のほかに、バレーネ(barene)と呼ばれる湿地帯が見え隠れする北ラグーナ(laguna、ラグーン)と異なり、ヴェネツィア本島の南側は、いくつかの離島が点在するほかは広い海が続く。といってもまだまだラグーナの中なのだが。
正確には南ラグーナではなく、中央ラグーナということになるらしいが、ラグーナの外側を囲うリド島に沿ってずっと南に下り、その続きのマラモッコ島のすぐ内側に浮かぶポヴェリア島(Isola di Poveglia)。

定住化はヴェネツィアのラグーナの中でも最も早いうちの1つで、もともとは6世紀に、パドヴァやエステなど内陸の町をロンゴバルド族に追われた人々の拠点となり、8世紀にはヴェネツィア共和国の管轄下に入る。
長らく漁業を中心に栄えたが、14世紀にキオッジャ戦争と呼ばれるヴェネツィアとジェノヴァ共和国との戦いの際に巻き込まれると、住民たちはヴェネツィアへ避難、島はジェノヴァに一旦占領されたのち、打ち捨てられてしまう。
その後、ようやくヴェネツィアの手で再利用されるのは1782年になってから。ラグーナへの南側の入口に近いこともあり、新たな「ラッザレット」すなわち、海を渡って運ばれてくる商品や人員のための検疫所として利用され、それは第2次世界大戦後まで続いた。
以後、療養所として使われたりもしたが、1968年にはそれも廃止。国有財産として、実質は打ち捨てられた島となっていた。
近年になって、再利用のプロジェクトが生まれては消えていたが、2014年にとうとう競売にかけられる。ヴェネツィア市民の有志グループが立ち上げたNPO”Poveglia per tutti”(みんなのポヴェリア)は、1口99ユーロで広く一般の参加を募り、誰もが自由に利用できる土地として国に99年間の譲渡を申し入れた。一方、ヴェネツィアの企業家による入札額は国が拒否、不服とした入札者が現在上訴中。
(wikipedia を参照しました)










長く打ち捨てられた島であったポヴェリア島には、元療養所の建物が廃墟として残り、伸び放題に伸びた薮に覆われている。
ペスト患者の隔離場所ともなっていた島にはもともと「死」のイメージがぬぐえない上、現在、水上バスなどの公共交通手段ではもちろんたどり着けないほか、ヴェネツィア本島から遠く、ふだん人通り(舟通り?)の少ないこともあるだろう、いろいろなものが「出る」とか「見た」とかという噂も多いらしい。
年明けに読んだミステリー「カルニヴィア1禁忌」は、その「おどろおどろしさ」を利用した犯罪をテーマにしていた。
ポヴェリアは実際には、3つの島で構成されている。
八角形の城壁で囲まれた部分と、そこを根元に扇形に広がる2重の島。八角形の部分は上陸不可、主な建物のある中央の部分から、外側の部分へは、橋が1つかけられている。



なるほど、多少何か出ても驚かない十分な環境であることは間違いない。

だが実は、季節ともなれば、近隣は漁のための網がずらりと水中に並べられ、今はその網が干されているこの岸も、夏にはヴェネツィア市民たちのマイ・ボートでいっぱいに賑わうらしい。当然のことながら、島に上がって木陰を散策するだけでなく、バーベキューをしたり、飲み食いもするのだろう。残念ながら、岸に近いあたりではそんなゴミも散見した。
窓が破れ、屋根が崩れ、残された家具が投げ出された廃墟は確かにものものしい。だがその裏には蔦や野バラ、ベリー類の林が広がる。
「自然公園」という名の整備しすぎた場所は不要、だが、誰もが自由に利用できる、自然を楽しめる島を市民たちの手で残すのは悪くないアイディアだと思う。

22 feb 2015