ワイズマン監督「ナショナル・ギャラリー」にどっぷり・・・ |
どうせ言うのなら、最初に言ってしまおう。
あああーナショナル・ギャラリー、(久しぶりに)行きたあーーーい!!!
もともと「はたらくおじさん」や「舞台裏」的なテーマは大好き、それがよりによってあの、世界の名作をこれでもかと揃えるロンドンのナショナル・ギャラリーの裏も表も徹底的に見せようというのだから、それはもう想像するだけで悶絶もの。
昨年の第71回ヴェネツィア映画祭で栄誉金獅子賞を受けたフレデリック・ワイズマン監督は、これまで多くのドキュメンタリー映画を撮影してきたことで知られる。パリ・オペラ座やアメリカン・バレエ・シアターなど舞台ものも得意としてきた彼が、多くの人が交錯する巨大な「マシン(機械)」である世界でも有数の美術館に目をつけたのはむしろ当然の流れかもしれない。
清掃員が床をぴかぴかに磨き上げる場面に始まり、キュレター、ガイド、修復家、工事業者、運営担当者、監視員、学者に学生、テレビの撮影スタッフに子どもたち、ダンサー。レオナルド・ダ・ヴィンチ展に夜を徹して、あるいは雨の中傘をさして並ぶ美術ファンたちから、世界中から押し寄せる観光客まで。たとえばある1日、ある一瞬を切り取ったとして、いったいどれだけの人が同時に館の内外にいて、どれだけのことが同時に起きているのだろう?いや、カメラは実際には1つ(だと思われる)から、同時に起きていることは正確にはわからない。だが、無数の不連続の構成がそれを物語っている。それにしても、よくここまで撮ったなと驚嘆する。いやそれが巨匠ということなのだろうけれど。
そしてその合間合間に惜しみなく映し出される名画の数々。ジョヴァンニ・ベッリーニ、ヴァン・アイク、ブロンツィーノ、ホルバイン、ミケランジェロ、ティントレット、ヴェロネーゼ、カラヴァッジョ、ヴァン・ダイク、プッサン、レンブラント、ルーベンス、ベラスケス、フェルメール・・・。ダ・ヴィンチとティツィアーノは開催中の企画展の会場も何度も登場するので、「お得感」倍増。
そう、美術館だから何と言ってもこれらの絵画が主役。たくさんのヴィジターに囲まれた作品、修復作業を受ける作品、誰もいない暗い館内でひっそりとたたずむ作品。その無数の主役たちをひきたて、もり立てるためにその回りをうごめく人間たちは大きな機械の1つ1つの部品にすぎない。
・・・ところが見ているうちにいつのまにか、その立場が逆転していくような錯覚に捕われる。その仕事の困難と醍醐味を熱く語る修復家から、広過ぎるギャラリーと人いきれに疲れ果ててしまったのだろう、中のベンチで居眠りをする観光客まで、そのたくさんの人々が主役で、第一級の絵画たちはやがて美術館の壁や床や建物と同じ、舞台背景として溶け込んでいく・・・。などというと、美術史の先生には怒られてしまうだろうか?いや、まさにそれがワイズマンという人の作品ということだろう。ただ美術館を映すだけなら、本物の美術館には敵わない。これは本物に徹底的に取材した上でできた「映画」なのだから。
いろいろな意味で何重にも楽しめる映画。
「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」
National Gallery
Frederick Wiseman, 180min, 2014
23 mar 2015
映画の中でも、スタッフのミーティングの場面などもあって、伝統は決して過去に閉じ込められた化石ではなく、変わっていくこともまた必要だと実感しました。
印象派、ディーラーの視点から、というのも面白そうですねえ。