重文級、鎌倉時代の一対の彫像 ヴェネツィア東洋美術館 |
このブログにしばしば登場する、ヴェネツィアの国立東洋美術館は、1889年にアジアを旅行したパルマ公エンリコ・ディ・ボルボーネによる個人コレクションが元になっている。3万点を超える所蔵品のうち7割が日本の美術、工芸品でそのほとんどは江戸時代のものだが、中に、大変貴重な鎌倉時代の彫像一対も含まれている。
同館で15日、奈良国立博物館 学芸部 美術室長 岩田茂樹氏による、飛鳥時代から鎌倉時代の日本の仏像彫刻の歴史と、この所蔵品の彫像を紹介する講演会が行われた。
高さ50cm未満の小ぶりの彫像2点は、今から14年前に、同館を訪れた岩田氏に「発見」された。薬師十二神将のうちの2躯は、鎌倉時代のものであることは間違いなく、日本国内にもあまり類を見ない、大変貴重で珍しい例だという。
薬師如来を守るため、薬師の周囲に配置される12躯の像は、甲冑をつけ、勇ましい姿で表現されるのが一般的。その中でもこのヴェネツィア東洋美術館の2躯は、写実的かつ躍動的なスタイル、また、目に水晶を埋めた玉眼などの特徴から、現在は東京国立博物館、静嘉堂文庫に分かれて保存されている、京都、浄瑠璃寺の十二神将像に近いと言える。浄瑠璃寺の十二神将は、運慶またはその流れを汲む工房によるものとされる。ヴェネツィアの2躯もしたがって、同じく運慶またはその流派によるものと考えてほぼ間違いないだろう。
十二神将は、十二支の動物で表される。ヴェネツィアの2躯のうち、1躯は頭の上にトラの飾りを持つ。これは後世に付け替えられたものだが、当初からトラがついていたと考えられる。もう1躯は残念ながら失われているが、やはり動物の飾りがついていたのは容易に予測される。また、持物は失われているが、一方は弓と矢、もう一方も何か棒状のものを手にしていたと思われる。
材質はヒノキ、寄せ木作り。体内が空洞になっているのは、同時代の特徴と一致する。
浄瑠璃寺の十二神将との違いは、浄瑠璃寺のほうは切金と呼ばれる、金を薄くのばして板上にしたものをさらに細く切り、装飾に使う手法が使われているのに対し、ヴェネツィアのほうは金泥のみでそれが見られないこと。
ちなみに、より人間らしくリアルに見せるために使われる玉眼の手法は、日本の仏像その他で古くは12世紀から登場する。はっきりはしていないいものの、日本で考案されたものである可能性が高い。
エンリコ氏が日本滞在中にこれを入手したことはほぼ間違いないものの、日本のどこで、いつ、誰から獲得したのかは今のところわかっていない。だが、この2躯の保存状態のよさからみて、ほかの10躯もどこかに残されていることも十分考えられる。岩田氏は、いつか世界のどこかで、残りの10躯が発見されることを期待する、と。そして、今日の話を聞いて、日本の仏像に少しでも興味を持った方は、ぜひ奈良へ来て本物を見てほしい、と講演を締めくくった。
「薬師如来十二神将のうち2躯」(鎌倉時代、13世紀)は、ヴェネツィア国立東洋美術館、第4室にて常設展示。
15 dic 15
こうして評価いただいたこと、現場のみなさんにもお伝えしたいと思います。
こんな凄いものが東洋館にあったとは! いつも説明文は斜め読みですから、頭には入りません。今度ヴェネツィアの日本を探す時は、もっと注意深く東洋館や船の博物館などを、と思いました。
ボスコロ館長氏の行動力も素晴らしく、お世話になった一人としてもっと日本国内でもこの東洋美術館の存在をアピールして行きたいと思います。
現ボスコロ館長のご活躍もすばらしく、また前スパダヴェッキア館長もつい先日、長年のそのご尽力に関して、ミラノ総領事館で表彰されたようです。