シラクーサのドゥオーモ |
横長に広い広場もつるつるの大理石、くっきりと晴れ渡った青空の下に輝く白亜のドゥオーモ。
(・・・と言いつつ、そのものズバリの写真がなぜか、ない・・・)
正面から見ると見事なシチリア・バロック、これは18世紀に作られたもので、この建物全体でいうと最も新しい部分。
本やガイドブックで読んで、へーっと思ってもなかなか実感がわかないのだが、ここでこうして目の当たりにすると、やはり何とも感慨深い。
イタリアの教会は、建立から何度も改装や改築を繰り返し、時代の違う様式や建材が混在しているのはよくあることだが、ここは、紀元前6世紀に建てられたアテネ神殿だったというのだから驚く。
円柱の間を埋めて外壁にしてあるほか、内部はその円柱がそのまま、側廊とその脇の礼拝堂をくぎる柱などとして利用されている。変な言い方だが、さすが西洋建築の基礎となっただけあり、そのギリシャ神殿の柱は、違和感はもちろん、いかにも「古代遺跡を利用しました」的な主張もなく、まるで最初からこうなることを予期されていたかのように、馴染んでいる。
3廊式(縦長で左右に柱で区切られた通路のある形)の聖堂、木造の屋根や16世紀、多色大理石の床は15世紀。正面に向かって右側、アテネ神殿の柱がアプローチになっている一番手前の礼拝堂には、ギリシャの壺クラテルがあるが、これは洗礼盤として使われていたもので、下を支えている鉄のライオンは13世紀のもの。
一方、左側奥は、中世ビザンツ時代の跡を残している。
この側廊に並ぶ彫像は、シチリアのルネサンス時代の彫刻家ガジーニ親子によるもの。
壁の上のほうに、ひときわ新しい碑がはめ込まれているが、これには、
「同聖堂は、2014年12月20日から22日、サンタ・ルチア(聖女ルチア)の聖遺体を迎えた。」
との表記が。この町で生まれ、信仰を貫いて殺されたルチア、亡くなってからイスタンブール、ヴェネツィアへと旅をし、今でもヴェネツィアで眠る聖女は、1年と少し前、クリスマスの前に故郷に里帰りしたのだった。
そうこうしているうちに、日が高くなって、堂内にさっと光が差した。ステンドグラスを通して届いた光は、まるでそこに、何人もの聖人・・・いや、何百年も、何世紀もの間にここに携わってきた多くの人々の亡霊が現れたかのように見えた。石の積み重ねは、人の歴史の積み重ね。私たちはそんな無数の過去の人々に生かされているのだと、彼らに支えられているのだと自覚させられるような、そんな気分にさせられた。
10 mar 2016