植物たちの「すごい」がいっぱい、「植物は《知性》をもっている」 |
めずらしく手にとった科学本。
植物がいかに、機能的、合理的かつときに天才的な能力を有し、動物とは違ったかたちでの「知性」を発揮しているか。
古来より人間は、生命体のヒエラルキーにおいて、植物を動物の下に位置づけてきたが、果たしてそうだろうか?根を下ろした場から動かない、ただそれだけで、そう決め付けることができるだろうか?
植物は実は、こんなこともできる、あんなこともできる、それでもまだ、愚かな我々人間は、植物を軽視するのか?導入部分は、説明というよりはそうした問いかけがこれでもか、これでもかとしつこくて、そもそも、人が「虫けら」よりエライともとくに思っていない私にとっては、かなりうっとうしい。植物だって同様、地球上に命を受けたものの一員として、そりゃ全く同じではないけれど同じ地球上の仲間の一員と思っているし。それって、自然を支配、征服しそれをよしとしてきた、いわゆる西洋的発想じゃないの?レトリックの問題で、こうして挑発的にしたほうが、より一般書籍として好まれるのかもしれないが、私としてはただ、もっとシンプルに「私たちあんまり知らないけど、植物って実はこんなすごいんだぞー」と言ってくれればそれでよかった。
だが、植物は「モジュール」制という説明に、すとーんと落ちた。つまり、動物は内臓を持ち、脳を持ち、それぞれ1カ所に集中しているのに対し、植物は同じ姿かたちのたくさんの単体の集合で成り立っていて、一部傷を受けたり失っても、またそこから平然と再生していくことができる。あっそうそう、ちょうど家のゼラニウムでちょっと弱ったり虫に食われた葉はあっという間に変色して、ぽろんと取れるようになり、みるみるうちにまた新しい元気な青い葉と花芽がでてくるのに感心していたところだった。そう、植物は多少、葉を切られたり枝を切られたりしても全く問題ないし、それどころか挿し木なんていうこともできる。
そして、動物の持つ臓器を、植物は持たないけれど、それと同等かしばしばそれ以上の機能を備えている。
いや確かに、そうでなければ、人間よりずっとずっとはるか昔から生き延びてきてなお、今もまだまだ地球上を埋め尽くしているはずがないだろう。彼らは思っているよりも賢く、たくましい。
科学書、とはいってももちろん専門書ではなく、いろいろと身近な例の中にひそむ、奴らの驚異的な能力にノックアウトされながらも楽しめる。
夏休みの読み物にちょうどいい。
植物は《知性》を持っている 20の感覚で思考する生命システム
ステファノ・マンクーゾ、アレッサンドラ・ヴィオラ著
Verde brillante. Sensibilità e intelligenza del mondo vegetale.
Stefano Mancuso, Alessandra Viola
6 ago 2017