モザイクの旅、パヴィアの市立博物館がすごい |
ヴィスコンティの館・パヴィアの市立博物館、考古学部門から中世へと、時代順に順路をたどっていくとその先に大きな「モザイクの間」とでも呼ぶべき部屋が登場する。
11-12世紀すなわちヴィスコンティ家の支配下に入る前のこと、独立都市国家を謳歌していたパヴィアでは、公共施設や教会などを中心に大型建築物が数多く建てられ、それぞれが彫刻や床モザイクで美しく装飾されていた。古代ローマの文化や建築を再評価し真似たことで「ロマネスク」とのちに呼ばれる美術・建築がイタリアはじめヨーロッパ各地で花開いた時代。大都市ミラノに近いパヴィアも高い文化を誇ったのであろう。だが、大きな聖堂も市の集会場も、時代が下るにつれて街の新しい需要に応えるため、改装され、破壊されていってしまう。現在でも当時の姿を残しているのは、サン・ミケーレ大聖堂くらい。
ここには、かつて市内の教会の床を飾っていたモザイクの断片が、床から壁一面を埋めるように展示されている。どこから見るべきか目移りしながら、まずは入って正面奥の壁から。
これは、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会の中央廊にあったもので、11世紀末から12世紀初めに作られている。ドーナツ型の部分、見えているのは「信仰(Fede)」が 「不和(Discordia) を倒している場面で、生き生きというのか、なんだか「あれえ~お助けをー!」と叫んでいる声まで聞こえてきそう。そんな声を聞き届けられることなくあっけなく処理されてしまった遺体は、哀れにも、ひげ爺みたいな狼や、わりとリアルなカラスについばまれている。いや、ひげ爺かと思ったがどうやらこれは、肉の一部が口からはみ出ている模様・・・。ご丁寧にそれぞれキャプションつき。
ベージュの地に、赤、灰、そして黒と使われている石は3色なのだが、見事な表現力に感心する。
向き直って、対峙する壁にあるのが、同じサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の、側廊南側の床にあったもの。こちらは少し遅め、12世紀中盤に作られておりテーマは「聖エウスタキオの殉教」。森の中で啓示を受けたのちに改宗、皇帝ハドリアヌスの前に引き出され、猛獣に食われる刑を命じられている。聖エウスタキオといえば、先日、アオスタの大聖堂でも11世紀のフレスコ画を見たばかり。その時代には珍しいテーマだという話だったが、そろそろ流行り出した頃だったのだろうか・・・。
また、「信仰と不和」の足元に展示されているモザイクは、もともどどこにあったものか不明らしいのだが、グリフォンや孔雀など、枠の中で形式化された動物たちが美しい。よくよく見ると、同じ孔雀でも、しっぽの扱いが、より形式化された風船状のものと、ややリアルな表現になったものもいて興味深い。微妙に違う時代に一部修正されたのか、あるいは単に、複数の職人が一緒に仕事をしていて、ちょっと違ってしまっただけなのか・・・。
頭の部分が失われているのが残念だが鷲のようなものもいて、こちらは黒地の上で広げた翼のグラデーションが見事、かなり写実的なのが目を引く。
(パヴィア博物館、続きます。)
Musei Civici di Pavia - Il Castello Visconteo
Pavia
http://www.museicivici.pavia.it
2 set 2018